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アンマー=母

2010年10月12日
♪いったアンマーまあかいがーー♪(あなたのお母さんはどこにいくの?)
♪べべーの草刈いが~♪(ヤギの餌である草を刈りに)
沖縄の童謡です。


母は9月14日に、あの世に旅立ちました。101歳でした。
心の準備はしていました。
でもチルダイ(魂がぬけたようになること)
本に逃げ込んでいましたが、天寿をまっとうし、一生懸命生きたであろう母に「はっさもー」(まったくもって)と呆れられないうちに、立ち上がらなくてはいけません。


亡我の人でした。
昔の人でしたので、家のため、家族のため、私たち子供のため、一生懸命でした。

「天からの預かりもの(母曰く、子供は、天から授かりものではなく、神様から預かっている)」と思って私たち6人兄弟を大事に育ててくれました。


綺麗な死に顔でした。色も白く、100歳を超えているようには見えませんでした。
メークアーティストである義姉のまりちゃんが、血色良くとても綺麗にお化粧をしてくれました。

留袖を着て、金襴の帯に新しい帯揚げと帯締め。白足袋を履いた足は膨れていましたが・・・
先に逝っている父と再会するのですから、綺麗でなくてはいけません。
ほんとに、ちょっと目をつぶっているだけで、すぐに起きそうなくらい・・・



のびのび、愛情タップリに育ててくれて、ありがとう!

厳しくやかしい母親(祖母)に育てられたからと、私たちを自由に育ててくれました。
しかし、晩年「あんたたちに言いたいことを半分も言わなかった。
もう少し進言するべきだった」と困った顔で、そして「まあまあに育ったからいいね。」と笑顔で言っていました。

47歳で私を産んでくれて、ありがとう!

子供の時は親が年がいっているのが恥ずかしかった。(ごめんなさい)でも今は、「47歳で産んでくれたの!」と、ちょっぴり自慢。
驚く友人たちに言われるのは、「お母さん、死ぬ気で産んでくださったのね」と。
50過ぎての子育ては中々大変だったと思います。
母は「上が(姉や兄)面倒を見てくれるから」と言っていました。
感謝の気持ちでいっぱいです。



沖縄では納骨は葬儀が終わったら、すぐにします。
通夜、火葬、葬式、告別式、納骨の順です。
母が育った家があったお向かい、若かりし頃お花とお茶を習いに行っていた、遠縁にもあたる大典寺で葬儀、告別式をしました。

その後すぐに、納骨のため識名霊園に車で移動。
青空で良い天気でしたのに、移動し始めたら突然の雨。
沖縄では「カタブイ」と言いますが、狐の嫁入りで、片側は青空で、道路の向こう方のアスファルトも乾いているのに、私たちの頭上だけ雨、雨、涙雨。
窓の外に、虹を見つけ、しばし車中を和やかにしてくれました。

霊園につくと、明るい空から台風のような、風雨で、降りることも出来ません。
久しぶりに会う浜松の兄に抱かれ、すぐにお別れしたくなかったのかもしれません。

小雨になり葬儀社の方がテントを張ってくださり、うそみたいに降っていた雨は止み無事納骨をしました。
私は終始墓前にいてテントの中で見逃したのですが、少し離れていた兄たちは、うちのお墓だけから大量の蒸気が上がり、その向こうに大きな虹が架かっていたのを見たそうです。
母が天に登ったのを見た思いだったそうです。

母は天寿を全うし、あの世にいってしまいました。
霊感の強い方が「お母さんは真っ直ぐ、天に上がっていきました。どこにも寄り道せずに」と言ってくれ、私たちもそうに違いないと確信しています。

ありがとう!ありがとう!産んでくれて、ありがとう!
一世紀、ほんとうにお疲れ様でした。

父が17年前に逝った時「お父さんのお蔭で、ちょっと人と違う人生で面白かった。」と、言っていたのを思い出します。
そして80歳を過ぎていた母が「最近何だか、歳を取った気がする」と言った言葉も忘れられません。

せっかく産んでくれたんだもの、楽しく一生懸命生きないといけませんね。
まずは、目の前にせまっている、仕事に全力投球です。



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